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この章を読んで、前回クラスで言った「エレベータへの信頼」は、おそらく、今の私にとっては「慣れ親しみ」の表現がもっと適切かも。

最初読み始めたときも、ルーマンの名詞使いに戸惑っている。
慣れ親しみは慣れることプラス親近感をもつことでしょう。こやまさんのドイツ語解釈を読んでいて、
「慣れ親しみ」の字面的な意味を拘らないで、読み続いた。そして、少しイメージが分かってくると気がする。

ここでの「慣れ親しみ」は人の体験よって積み上がったもの。
普遍的な常識、習慣、経験、体験、伝統な考え、言い伝えなどが考えられるだろう。
慣れ親しみは前提であるが、人間世界の複雑性をもある程度縮減しうるが、p31で
「慣れ親しみは相対的に確実な期待を可能にし、そのことによって、残存するリスク吸収をも可能にする」示したように、
信頼と似たような働きが出来るが、それだけでは足りない。しかも、
「慣れ親しみのある世界においては、過去が優位を占める」のように、信頼の「将来の期待を可能にする」働きとは多少違う。

だから両者は相補的で、相同ではない。

それでは、この「慣れ親しみ」と「信頼」でNHKの受信料不払い運動を考え試みる。

信頼に基づいて受信料制度、そして、慣れ親しんでNHKの番組をみて、慣れ親しみによって受信料を振り込み、支払いする行動。
しかし、番組が政治力で改ざんされたことを報じられたから、昔から習慣で支払いする行動に対して、不信、疑問が生じて、
支払いを続ける人もいるし、不払い運動を提起した人も出てきた。NHK番組を視聴拒否する方もいる。

その中で、私が興味を感じたのは、支払い続けた視聴者はNHKを信じて支払い続いたのか、それでも単なる支払いを慣れていただけ、
自動振込みにしたのか。それに、今回話題になったのは2001年の番組で、朝日新聞の報道が出たから騒ぎになった。

つまり、今まで番組が改ざんされても気づいていない視聴者は多数であろう、或はそもそもあの番組を見たことないだろう。
このような自分で体験したことのない出来事によって、今まで信じてきた受信料制度、番組制作に疑問を生じることは、
「朝日新聞」の報道への信頼で成り立てる「信頼/不信」と「慣れ親しみ」の新たな関係でもあるでしょう。


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